スキルを磨こう

東京駅 貸し会議室での会議の司会者に技術が必要であれば、出席者にも技術が必要です。


私たち日本人は、技術を低く見る傾向をもってはいないか。


"手に職をつける"ことは、身過ぎ世過ぎのためには必要なことだが、それほど誇りに思ったりはしていない。


手に職をもつことを、技術を身につけることを本当に大切にしていないことは、学歴偏重の現実を見てみれば、すぐにわかる。


大学卒の職人さんをマスコミがニュースにします。


マスコミがゴチャゴチャいっている間は本物じゃないよ。


閑話休題。


よりよい会議のために、技術がすべてとはいわないが、コミュニケーション.スキルなるものに、関心をもち、注意をはらい、訓練をすることによって、相当な部分にわたって状況を変化させることが可能なはずだと信じているんだよ。


どうですかね!

妥協を恥としない

私たち日本人にとっては、最重要な態度かも知れない。


"花は桜木・人は武士"、この言葉を知ってますか。


こんな言葉を聞いたこともないような若い人たちの問でも、"妥協"という言葉のイメージは、よくない。


潔さこそが最高の美徳とされた江戸時代の武士道を、明治維新後に、お武家以外の人たちが真似をした結果、粘り強く生き抜くエネルギーのかわりに、安直に結着をつける、偽りの潔さを生活にとり入れたのではなかろうか。


勿論、為政者による教育操作なんかも多分にあっただろうしね。


私たちは、目的・目標を達成するためには現実性の大切なことを、よく知っています。


"今、ここで"は、自分の主張を変形してもよい、という弾力性をお互いがもち合わせていなければ、会議は常に決裂していることになるか、盲従するだけのことになってしまいます。


東京駅 貸会議室で妥協の価値を再発見しよう。

出席者の無責任

司会者だけが、会議に責任を感じているという傾向がありはしないか。


君は、出席者になった場合「行って坐ってりゃいい」などと思っていないでしょう。


出席者が、つい、そう考えてしまうようなやり方、考え方をしてきた会議があることは確かな事実でしょう。


だからといって、そのままにしておくことは許されないと思います。


誰に対して許されないか、というと、民主主義に対してです。


私たちは、東京駅 会議室でもどこでも一方的に聞くことは得手だ。


もう少し正確にいうと、聞き流すことは得手だ。


おやじや先生のお説教はいつも頭越しに飛んでいくか、流されてしまっています。

会議メンバーの五つの義務

会議用のノート、あるいはファイルを持っており、活用しているか。


事前に送付されたり、配布されたりしている資料には必ず目を通しているか。


それらの資料、ファイルを忘れずにもって、会議に出席しているか。


東京 貸し会議室での会議のテーマについての自分なりの意見、組織としての意見をまとめておくという形での準備をして出席しているか。


どうですか。


"もし、出席者が、主催者と同じだけのエネルギーを準備にかけていてくれたらなあ"と、ある企業の部長が嘆いておられたことがあった。


彼は、会議中に自分の発言の多さに驚いて(私がデータを見せたのだが)発言をコントロールすることによって、会議の変革に成功した人だ。


彼の、セクションのある会議のあとで評価シートを配って記入してもらったことがあるが、主催した課長以外に、準備をしてその会議に出席したのは、部長一人だった。


少なくとも時間は二倍以上ロスしているし、全貝がしっかりと準備していたら、中味は三倍にも五倍にもなっているはずだ、と彼はいうのです。

発言の独占をチェック

"話しすぎる・黙りすぎる"がリーダー泣かせの両横綱ですかね。


その東の横綱だ。


時間がかかるようでも、訓練によることが結局は、こうした会議の機能障害の要因をなくすには最短コースなのだが。


東京 貸会議室に予定されている時間を出席者の頭数で割ると、一人当り○○分以上話すことは、他人の時間の横取りである旨を徹底しておく。


一発言一内容でいこう、と習慣、づけていく。


マジックシートを活用してタッチシグナルを使う。


メモをみせる。


タイムキーパーの活用。


他のメンバーが、どしどし発言する。


観察者・記録者が、会議のあとのふり返り報告で、会議での発言数・発言時間などを定期的にチェックする。


話しすぎ、黙りすぎは、日本に限らず、万国共通の会議リーダーの悩みらしいです。

会議で訓練!

グループ全員が時間に気付くようにしていく時を忘れて論ずるのも、たまにはよいだろうが、いつもそうだと厭がられるし、そんな時は、えてして、数人のメンバーだけが、時を忘れているものです。


これは訓練によるそうです。


東京 会議室で行う訓練としては、タイムキーパーなどを会議に置いてみる(観察役が兼ねてもよい)。


オリエンテーションのときに、念を押すことも忘れてはならない。


テーマを確認する。


脱線を防止するためには、なくてはならない機能です。


今は何を話し合っているのか、が全員に見えてないといけない。


"今"のテーマが、模造紙に書かれるとか、黒板に書かれているとかして、コンテントとしてもプロセスとしても見えていないといけないのです。

聴くことへの不慣れ

私たちには、東京駅 貸し会議室での会議に関わらず、聴く技術の訓練が足りないのです。


聴けない。


なまじ、そのようなことを知っていて、少しばかり、訓練を受けると、(傾聴訓練などというのがある)一応は聴く姿勢を見せることはできる。


だが見せかけのそれは、「イエス、バット・・・」という形で化の皮がはがれてしまうことがしばしばある。


「なるほど、君のいうことは、よくわかる。しかしだね・・・」で始まって、これまで聞いていた時間というか、聞く真似をしている問我慢していた自説が流れ出すと、もはや止めようがない。


そんな人いるだろうと思うのです。色んなところに。


私の先輩に"話上手は聴き上手"をふりまわす、説教好きの先輩がいた。


この人は、話し合うとは、聴き合うことと対になっている真実に遂に気付かなかった。


つまり、話す、聞く、をそれぞれに独立したものと理解していたのだろうね。


コミュニケーション(特に対人コミュニケーション)の日本語は"かかわり合い"が適当だと信じているのだが、この"・・・合い"の持つ、人間に対する深い意味を私たちは、もっと深く理解したいものだ。

変化への抵抗


東京駅 貸会議室で変化をおこすには、じっとしているよりも余分のエネルギーが必要だ。


私たちは、そのエネルギーを使うのをしんどがっている部分をもっています。


じっ、としている方がしんどくない。


"ものいえば唇が寒い"ので黙っています。


甘えん坊の頑固さに通じるものがあります。


斜に構えて拗ねている感じの人があります。


理解より反論や批判。


"変化への抵抗"の変形かも知れないが、出来ないこと、やらないことへの理由はいくらでも見つけられるし、作りもする。


また、それをカッコイイと思っている人もある。


反対のための反対としか見えないような主張をする人たちの心の底に流れているのは、どんな感情なのであろうか。

自己中心的態度と他者依存

自己中心的態度と他者依存について。


「私は何もわかりませんので・・・」とか「聞かせていただくだけで・・・」などといわれることがあります。


この人の出席した理由は一体、何なのか。


また、この組織はどんなつもりでこんな人を会議に寄越したのでしょう。


どんな理由があるにしろ、これらの言葉は、その人が、出席した会議になんらかの形で役に立とう、とは思っていないことが、よくわかる。


東京駅 会議室出席者に関して、情報不足であったり、動機づけられていなかったり、責任を回避しようとする人たちは、こうなるでしょう。

会議とは

"会議とは踊るものである"と、その町の有力者氏は信じているのであろうこの人の経営する会社の社員は、きっと会議を信じていないに違いありません。


みなさんのお父さんもきっと同じだと思います。


手紙によると、衆議を信じていないようでした。


東京 貸し会議室の会議を手続きのワンステップと思っているらしいから。


そこでは、率直なコミュニケーションというよりも、駆引きのコミュニケーションがあるだけだろうなーと思うのです。